美は乱調にあり
小説家である施主からの唯一の要望は、自ら所有する5万冊の本と数千枚に及ぶレコードや音楽CDを収納出来る棚を用意することであった。「美は乱調にあり」そう話す施主からは、家の中が散らかっていないと落ち着かないと聞かされていた。仕事の都合であらゆるモノが増えていくし、モノの置き場所は決めたくないそうだ。乱調を計画するという矛盾から解放されたのは、デザインするのはかたちではなく、「置かれるモノによってその場の状況は変化してゆくが常に美しい状態を維持する」プログラムであると気付いたときからである。そのプログラムは建築を設計しただけでは発動しないので、全ての置き家具と植物のセレクト、そしてそれらのレイアウトをお任せ頂くことにした。
建築と家具を等価に扱う
集積していくあらゆるモノを受け入れるためには、あらゆる置き場所が必要だし、その場所に階層構造や特徴があってはならないと考えた。そこで建築と家具を等価に扱い、その場で突出するするモノが無いようにするだけでなく、壁の仕上げを細かく区分して家具のスケールに近づけた上、室を跨いで異なる仕上げが連続するようにした。そのため、各室を隔てる建具は引き戸になっている。セレクトした家具の属性も東洋/西洋/アフリカ、モダン/アンティークを問わず、家のあらゆる場所に混在させている。
どこにでもある取り敢えず置ける場所
プログラムの中心になるのは本棚である。施主は本ですらジャンルで整理することを嫌っていたので(ジャンルで整理すると置き場所をいちいち考える必要があるから)、サイズで整理することにした。我々は5万冊を超える本のサイズを_タテ×ヨコのサイズ別に数種類に分類、分類毎にその割合を弾き出し、その割合をそのまま本棚の造形にした。棚が所々出っ張っているのは、本のサイズが異なるためと、取り敢えず本以外のモノを置いたり、本を平積みする場所をつくるためである。この本棚を家の中心にあるバスルームの周りにぐるりと配置して、家のどこでも必ず本棚の一部があるようにして、いつでも取り敢えず置く行為が可能なようにした。本棚のコーナーには部屋同士の境界を曖昧にするために側板を設けなかった。境界はコーナーに置かれる本やモノで刻々と変化してゆく。
情報から解放される場所
バスルームと寝室は家の中で数少ない本棚が無い場所である。情報から解放させ、静寂で包みたいと考えたからである。バスルームにはその情報は入ってこないが、家の中心にあるにも関わらず、磨りガラスを通して自然光が入ってくる。
署名しない
以上の考え方はバルコニーの植栽計画にも応用され、様々な種類の植物と鉢植えが混在している。新たな鉢植えはどこに置いても良いのだ。竣工後、施主から「浅利さんは作品に署名しないね」と言われたのが印象的だった。建築家がデザインすべきなのはかたちではなく、緩やかな動機付けなのである。その緩さが難しい。