三尺格子の家
北関東に位置する郊外住宅地において住宅を設計した。住人は若い夫婦と小さな二人の子供。こう言っては失礼かもしれないが、住まい方としては現代において私を含む若い世代の多くが選択する典型的な、ありふれたかたちである。
現代社会において、家族構成、働き方、収入、趣味、嗜好、気候、風土、それぞれは各家庭において全て一様ではない。そして、多くの人が、できることであれば自分は「特別」であり、自分だけのライフスタイルを送りたいと願う。しかしながら、同時に「皆と同じ」でありたい、「平均的」でありたい、とも願う。一聞して矛盾のある願いではあるけれども、例えば誰もが「安く良いもの」を望むように、ごくごく普通の消費者心理から現れる自然な願いである。
量産化部材による非量産化住宅
そこで必然として考えられるのが各ハウスメーカーによって既に取り組まれてきた「量産化=プレファブ化」ではあるが、プレファブ住宅を指して岸田日出刀が述べた「組み立て住宅の発展を望むが自分が今の組み立て住宅を註文はしないだろう」(建築雑誌:1947.10)との所感によく現れているように、戦後間もない時代でさえ積極的にプレファブ住宅に住みたいとは思えないのが、これもまた心理というものである。
そこで、本計画においては「量産化部材による非量産化住宅」を主題とし、現代の住宅のあり方を工法という観点から再考した。
「在来工法」による表現
日本において尺貫法が廃止され、1951年よりメートル法が本格施行されて60年余り。未だに建設業界、特に木造住宅においては尺貫法が根強く用いられている。日本では畳やふすま1枚を基準(3尺×6尺)とした量産部材が企業間を越えたオープンシステムとして流通しており、所謂「在来工法」として全国的にプレファブ化されている。これはつまり、方眼紙に沿って間取り図さえ描けてしまえればどんな素人でも建築家になれる国民的モデュラーコーディネーションを実現しているのである。この日本人に与えられた当たり前の寸法体系を表現に使うことで、合理性・経済性は元より表情としての意匠的・体感的なモデュール効果を見出せないかと考えた。
「素材」や「モデュール」による感性へのアプローチ
寸法体系を規格材に委ねることで徹底した合理化・経済化が計れるとともに、それを表現的に用いることで即物的に「材料」としての生々しさが現れてくる。またその内部体験は古くから日本人が親しんできたモデュールに基づくものであり、郷愁的な快適性を担保している。
「当たり前」の中から見つける
ルネサンス期において古典建築のオーダーからの脱却としてミケランジェロらが大オーダー(ジャイアントオーダー)を発展させたように、これは日本建築を支える尺貫法を請け負った現代の大尺貫法と言える。日本人の誰もが求めていた当たり前の心理は日本人の誰もが使える当たり前のシステムの中にみつけることができたように思う。